対数の歴史
対数の発明は、等差数列と幾何数列の比較により予見された。 例えば、…1/1000、1/100、1/10、1、10、100、1,000…は共通に10の比率を持つ。 等差数列では、連続する各項は公差と呼ばれる定数だけ異なる。例えば、…-3, -2, -1, 0, 1, 2, 3…は公差1である。幾何級数はその公比によって書くことができる。上記の幾何級数の例では、… 10-3, 10-2, 10-1, 100, 101, 102, 103…. 幾何級数における2つの数、例えば1/10と100の掛け算は、公比の対応する指数である-1と2を足して101=10とすることと同じである。 このように、乗算は加算に変換される。 しかし、この2つの級数の比較は、当初は指数表記を明示的に用いたものではなく、後世のものであった。 1620年、スイスの数学者ビュルギがプラハで、幾何級数と算術級数の関係概念に基づく最初の表を発表した
スコットランドの数学者ネイピアは1614年に対数の発見を発表している。 彼の目的は、当時サインと呼ばれていた量の掛け算を補助することであった。 正弦とは、大きな斜辺を持つ直角三角形の辺の値であった。 (
あらゆる正弦の対数とは、正弦全体の線がその正弦に比例して減少し、両方の運動が同じ時間で、始まりが同じだけずれるのに対し、平均時間で等しく増加する線を非常に簡単に表現した数である。
イギリスの数学者ヘンリー・ブリッグスと協力して、ネイピアは自分の対数を現代的な形に調整した。 L点(対数)はマイナス無限大からプラス無限大まで一様に動き、X点(正弦)はゼロから無限大までゼロからの距離に比例した速度で動くというものである。 さらに、Xが1のときLは0となり、このとき両者の速度は等しくなる。 つまり、X点の値の乗算とべき乗は、L点の値の加算と乗算にそれぞれ対応する。 ネーピアは1617年に没し、ブリッグスは一人で研究を続け、1624年に1から2万までと9万から10万までの数について小数点以下14桁まで計算した対数の表を発表した。 1628年には、オランダの出版社アドリアン・ヴラックが、1から10万までの値について、足りない7万を加えた10桁の表を発表している。 ブリッグスとヴラックは共に対数三角測量表の作成に携わっていた。 このような初期の表は、100分の1度単位か、弧の1分単位であった。 18世紀には、小数点以下7桁の表として便利な10秒間隔の表が発表された。 一般に、より小さい数の対数関数の計算には、より細かい間隔が必要とされる。たとえば、log sin x や log tan x の計算などである。 三角測量の手順が見直され、対数に依存する演算が一度に行われる公式が作られた。 その結果、対数を求め、その対数で計算した後に反対数を求めるという2つのステップだけで表を利用することができるようになった。